「生きる意味はない」ことを受け入れる
言わずと知れた「ひろゆき」さん。2ちゃんの創設者である彼の配信を最近みていて学ぶことがあった。
それは、人生に「生きる意味なんてない」ということ。
僕みたいな人間は、どうしても「何で生きているんだろう?」「人生で生きがいって何?」こんなことを考えがちだった。
だけど、そもそも人間という生物自体がこの世にできたことは、何の意味もなくて、たまたまだった、だから生きる意味なんてない。楽しく過ごしてれば良いと思いますよ。と。
その話を聞いてなんだか気持ちがめちゃくちゃ軽くなった。
よほど、才能やお金に恵まれた人以外、ふつうの人はほとんど生きる意味とか、社会に貢献するなんてことはない。
自分は特別なんだと思い込んで、生きる意味を探していたけれど、そんなものはないのが普通なんだとわかって、逆に心が軽くなった。
仕事が休みの日にも、ゴロゴロしているんじゃなくて、「何か意味のあることをしなきゃいけない」とか勝手に考えて焦っていた自分がいた。
でも意味のあることなんてなかなかないし、それより自分が楽しく過ごしている方がよっぽど意味がある。
無能でありクズである
また、ひろゆきさんは、よく「無能である」という言葉を使う。これはよくネタのように扱われることが多いし、連呼さるときもあるから笑っちゃうんだけど、例えば自分が失敗することが許せない人というのがいるけれど、それは頭の良い人にありがちで、失敗している自分の姿がカッコ悪くて受け入れられずに、失敗したくないという気持ちが邪魔をして何もやらなくなる、ということが起きる。
しかし、そういったプライドがない人というのは、小さい頃から失敗するのが当たり前だから別に何も思わないのでどんどん行動できる、ということ。
これを聞いてまさに自分は前者で、余計なプライドが邪魔をしてる状態だと感じた。
人間は、よっぽど天才じゃない限り何もできない「無能」である。
なのに「自分は失敗しない」と思って何かに取り組んでいるとロクなことがない。
自分は無能である。
そして、周りによく思われたいと思っているがらそれよりも性格だって悪い。
「クズ」である。
まずはそれを認める。
自分は「無能」であり、「クズ」である。
それを認めることができると、失敗とか間違いをしてもそれが当たり前なんだから気持ちが軽くなった。
いちいち悩まないし、どんどん行動できるようになった。
まずは、認めて受け入れる。
そこから始まる。